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Event / できごと

スマトラ沖地震と津波

Indian Ocean tsunami
AD2004年12月26日
重要度 4

概要

マグニチュード9.1。インド洋の14か国で23万人が死んだ。アチェで17万人。警報の仕組みが無く、津波という言葉を知らない海岸で、水が引いたのを見に行った人が飲まれた。

場所

バンダ・アチェ
5.55°N 95.32°E · インドネシア・アチェ州

本文

2004年12月26日、午前7時58分。 スマトラ島の北西沖。 深さ30キロ。 断層が1300キロ、 8分から10分かけて裂けた。 マグニチュード9.1から9.3。 1960年のチリ以来。 地球が振動し、 軸が数センチずれた。

15分後、バンダ・アチェ。 最初に海が引いた。 魚を拾いに人が出た。 高さ15メートルから30メートル。 街の中心まで4キロ。 17万人。 アチェは30年内戦していた。 軍が外国人を入れなかった土地。 津波が入れた。 翌年8月、和平。

90分後、タイ。 プーケット、カオラック。 外国人観光客が5000人。 スウェーデン人が543人。 2時間後、スリランカ。 3万5000人。 列車「海の女王」が流された。 1700人。 インド、1万6000人。 モルディブ、 7時間後、ソマリア。 300人。 南アフリカで2人。

23万人。 14か国。 インド洋に警報の仕組みがなかった。 太平洋にはあった。 ハワイの太平洋津波警報センターは地震を検知し、 「インド洋に津波の脅威はない」と最初に書き、 すぐ書き直したが、 誰に電話すればいいか、分からなかった。

10歳のイギリス人の少女が、 授業で習ったことを思い出して、 プーケットの海岸で「津波だ」と叫び、 100人が助かった。 シムル島の住民は、 1907年の津波の口伝で、 「スモン」と叫んで山に登り、 7人しか死ななかった。 アンダマン諸島のジャラワ族は、 誰も死ななかった。

140億ドルの援助。 インドネシアの「復興再建庁」。 2006年、インド洋津波警報システム。 2011年3月11日。 日本。 警報はあった。

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