概要
一つの町が、世界の磁器を焼いた。分業で一日に数万点を作り、ペルシアの藍で染めた皿がイスタンブルにもアムステルダムにも届く。最初の世界商品の一つになる。
場所
景徳鎮
29.27°N 117.18°E · 中国・江西省
29.27°N 117.18°E · 中国・江西省
本文
江西省の山あいに、白い粘土(カオリン)と、燃やす木と、運び出す川があった。 その三つが揃った町が、世界の磁器を焼くことになる。
宋の1004年、この地の年号「景徳」が町の名になった。 元の時代、ペルシアから来たコバルトで青い文様を描く技法が確立する。 染付(青花)になる。
明と清の時代、官窯と民窯を合わせて数百の窯が動いた。 一つの器に70を超える工程があり、それぞれを別の職人が担った。 一日に数万点が焼かれたという記録がある。 産業革命の前の、最大の工業都市の一つになる。
行き先は、東南アジア、インド、ペルシア、アフリカ東岸、そしてヨーロッパ。 イスタンブルのトプカプ宮殿に1万点以上が残っている。 アムステルダムでは、その形を真似た陶器が焼かれた。デルフト焼になる。
ヨーロッパが自力で磁器を焼けるようになるのは、 1709年のマイセンまで待つことになる。
出典(2)
ジョゼフ・ニーダム(東畑精一、藪内清 監修) 『中国の科学と文明』第5巻(陶磁と化学工芸)
アンドレ・グンダー・フランク(山下範久 訳) 『リオリエント アジア時代のグローバル・エコノミー』第2章(世界市場でいちばん売れたのはアジアの製品だった)