概要
東方正教を選んだことで、この地域はビザンツの文化圏に入った。ロシア・ウクライナ双方が起源とする。
場所
キーウ
50.45°N 30.52°E · ウクライナ
50.45°N 30.52°E · ウクライナ
関わった人(1)
ウラジーミル1世AD958年頃–AD1015年 · 大公本文
ウラジーミル1世が東方正教を選んだ。
『原初年代記』に、選択の場面が書かれている。
イスラームの使者に、酒が禁じられていると聞いて断った。 「ルーシの喜びは飲むことにある」と。
ユダヤ教の使者には、 国を失った民の神を信じる理由が無いと答えた。
コンスタンティノープルへ送った使節が、 聖ソフィア大聖堂の礼拝を見て報告した。 「天にいるのか地にいるのか分からなかった」と。
この話は後から整えられた挿話とされる。 実際には、ビザンツとの政治的な結びつきが大きい。 皇帝の妹と結婚している。
結果として、この地域は ビザンツの文字と典礼と美術の圏に入った。
ロシアとウクライナが、 どちらも自国の起源としてこの出来事を語る。 そのことが、いまも争点になっている。