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Event / できごと

マアッラの虐殺

Massacre at Maarrat al-Numan
AD1098年12月
重要度 4

概要

降伏した町で数千人が殺された。飢えた十字軍兵が死体を食べたことを、当時のフランク人自身の年代記が記している。アラブ側の記憶に最も深く残った事件になる。

場所

マアッラト・アン=ヌウマーン
35.65°N 36.68°E · シリア・イドリブ県

本文

1098年12月、第1回十字軍はシリアのマアッラト・アン=ヌウマーンを包囲した。 住民は、命の保証と引き換えに降伏した。

保証は守られなかった。 街に入った兵は、数日にわたって住民を殺した。 数千人とされる。

そのあとに起きたことを、アラブ側だけでなく、 十字軍に同行したフランク人の年代記作者たちが記している。 食料が尽き、兵が死体を切り取って食べた。 アギレールのレーモンは、それを飢えのためだったと書き、 別の記録者は特定の一隊のしわざだとした。

この事件は、アラブ側の記憶に何世紀も残った。 以後、フランク人を語るときに繰り返し持ち出される。

軍はここから南下し、翌年エルサレムに達した。

歴史の出来事は、どちら側の記録から読むかで違って見える。 マアルーフの本は、そのことを示す最も強い例としてこの町を扱う。

出典(1)

アミン・マアルーフ(牟田口義郎、新川雅子 訳) アラブが見た十字軍第1部(フランク人の襲来)

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