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Event / できごと

マンゴ・パークのニジェール川

Mungo Park reaches the Niger
AD1796年7月20日
重要度 4

概要

スコットランドの医者が、アフリカ協会の金で、ガンビアから一人で東へ。捕えられ、逃げ、飢えて、ニジェール川が東に流れるのを見た。「私が探していた川」。帰って本を書いた。1805年、40人で戻り、全員死んだ。川がどこへ流れるかは、25年後にランダー兄弟が確かめた。

場所

セグー(ニジェール川)
13.44°N -6.26°E · マリ

関わった人(1)

マンゴ・パークAD1771年9月11日–AD1806年 · 見た

本文

ニジェール。 「西から東か、東から西か」。「ナイルにつながるか」。「セネガルか、ガンビアか」。 1788年、アフリカ協会。ロンドン。バンクス。「内陸を」。 1795年。マンゴ・パーク。24歳。セルカーク。医者。スマトラの船医だった。 「ガンビア川。ピサニア」。 「ジョン・レイドリーの家。マンディンゴ語」。 12月2日。「二人の従者。馬。傘。帽子」。 「王たち」。「贈り物」。 「ルダマール」。ムーア人。「アリ王」。 3月から6月。捕虜。「豚を見せられた」。「髭を」。 「逃げた」。 「馬と、時計と、コンパスと、帽子」。 「飢え。雨」。 「バンバラ」。 1796年7月20日。「私は、東を見た。長く探した、ニジェールが、朝日に輝いて、テムズのように広く、東へ流れていた」。 セグー。 「マンサ・モンソン。渡してくれなかった。5000カウリーを」。 「シラ」。 「引き返した」。 「病気」。 「カマリア。7か月。カルファ・タウラ」。 「奴隷の隊列と、ガンビアへ」。 1797年6月。 「死んだと思われていた」。 12月、ロンドン。 1799年『アフリカ内陸旅行記』。 「彼は、誇張しなかった。それで、信じられた」。 「フーラ族の女たちが、歌で私を慰めた」。 スコットランド。ピーブルズ。医者。 「退屈」。 1805年。政府。「ニジェールの河口へ」。 「40人の兵。5人の船大工」。 「雨季に」。 「ブッサに着いたとき、5人」。 「サンサンディングで船を造った」。 「私は、死ぬまで、下る」。 1806年。ブッサ。急流。「攻撃されて、飛び込んだ」。 「案内人アマディ・ファトゥマだけ」。 1830年、リチャードとジョン・ランダー。「ニジェールは、ベニン湾へ」。 「ギニア湾」。 「東へ流れて、南へ曲がって」。 「40年」。 「彼の帽子が、ブッサの王の所に」。 「息子トマスが、1827年、父を探しに行って、死んだ」。 「セルカーク」。 「マンゴ・パーク記念碑」。 「ニジェール川」。 「彼は、川を見た」。 「テムズのように」。

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