概要
行政の効率という名目で、ベンガルを東西に分けた。宗教で分ける線でもあった。猛烈な反対運動が起き、6年で撤回される。分けて統治するという手法が、はっきり見えた事例になる。
場所
コルカタ
22.57°N 88.36°E · インド・西ベンガル州
22.57°N 88.36°E · インド・西ベンガル州
関わった人(1)
ラビンドラナート・タゴールAD1861年5月7日–AD1941年8月7日 · 分割反対の運動を歌で支えた本文
行政の効率が名目だった。
ベンガルは人口8000万を超え、 一つの州として大きすぎる、と。
分け方が問題だった。
東はムスリムが多数、西はヒンドゥーが多数になる。
反対運動が起きた。
スワデーシー(国産品愛用)とボイコット。 英国製の布を焼く運動が広がった。
タゴールが歌を作った。 その一つが、後にバングラデシュの国歌になる。
6年で撤回された。
だが、後に残ったものがある。
分割案がムスリムに有利だったため、 撤回はムスリムの不満を生んだ。
その年に全インド・ムスリム連盟ができている。
宗教で分けるという発想が、 このとき政治の場に出た。
42年後、その線でインドが分かれる。