← 地図で見る
Event / できごと

ベンガル分割

Partition of Bengal
AD1905年
重要度 4

概要

行政の効率という名目で、ベンガルを東西に分けた。宗教で分ける線でもあった。猛烈な反対運動が起き、6年で撤回される。分けて統治するという手法が、はっきり見えた事例になる。

場所

コルカタ
22.57°N 88.36°E · インド・西ベンガル州

関わった人(1)

ラビンドラナート・タゴールAD1861年5月7日–AD1941年8月7日 · 分割反対の運動を歌で支えた

本文

行政の効率が名目だった。

ベンガルは人口8000万を超え、 一つの州として大きすぎる、と。

分け方が問題だった。

東はムスリムが多数、西はヒンドゥーが多数になる。

反対運動が起きた。

スワデーシー(国産品愛用)とボイコット。 英国製の布を焼く運動が広がった。

タゴールが歌を作った。 その一つが、後にバングラデシュの国歌になる。

6年で撤回された。

だが、後に残ったものがある。

分割案がムスリムに有利だったため、 撤回はムスリムの不満を生んだ。

その年に全インド・ムスリム連盟ができている。

宗教で分けるという発想が、 このとき政治の場に出た。

42年後、その線でインドが分かれる。

同じ時代のできごと

コンゴ自由国1885年内閣制度の創設AD1885年12月22日インド国民会議の創立AD1885年ヘレン・ケラーが言葉を得た日AD1887年4月5日ブラジルの奴隷制廃止AD1888年5月13日電流戦争AD1888年『星月夜』AD1889年6月大日本帝国憲法の発布1889年2月11日(明治22年2月11日)