概要
ペロポネソス戦争の2年目、城壁の中に避難民が詰め込まれたところへ来た。ペリクレスも死ぬ。トゥキュディデスが自分も罹った上で症状を書き残した。
場所
アテナイ
37.98°N 23.73°E · ギリシア・アッティカ
37.98°N 23.73°E · ギリシア・アッティカ
本文
BC430年、ペロポネソス戦争の2年目の夏。 スパルタの軍が毎年アッティカを荒らすので、 ペリクレスは農村の住民を城壁の中に入れた。 狭い市内に人が詰め込まれたところへ、病が来た。
トゥキュディデスは自分も罹り、生き残って症状を書いた。 高熱、目の充血、喉の出血、皮膚の発疹、激しい渇き。 医者が最初に死に、看病した者が次に死んだ。 神殿に死体が積まれ、葬儀の作法が守られなくなった。
人口の4分の1から3分の1が死んだと推定される。 ペリクレスもBC429年に死んだ。
病名は分かっていない。 腸チフス、発疹チフス、天然痘、出血熱。どれも候補で、決め手が無い。 2006年に墓地から出た歯のDNAは腸チフスを示したが、異論がある。
マクニールの『疫病と世界史』は、 これを記録に残る最古の流行として第3章に置いた。 書き残した人が自分も罹っていた、という点で、 史料としても最も古い部類になる。
出典(1)
ウィリアム・H・マクニール(佐々木昭夫 訳) 『疫病と世界史』第3章 ユーラシアにおける疾病バランスの均衡