概要
ペリクレスのもとで15年かけて建てられた。同盟の資金が使われたことは当時も批判された。
場所
アテナイ
37.98°N 23.73°E · ギリシア・アッティカ
37.98°N 23.73°E · ギリシア・アッティカ
関わった人(1)
ペリクレスBC495年頃–BC429年 · 主導本文
15年かけて建てられた。
直線が一本も無いことで知られる。 床はわずかに膨らみ、柱はやや内側に傾き、 柱の胴も中ほどが太い。
まっすぐに作ると、目には逆に反って見える。 それを補正している。
彫刻は、パンアテナイア祭の行列を描いた。 神々ではなく、人間の市民が神殿に彫られている。
費用はデロス同盟の資金から出た。 当時から批判があった。
1687年、オスマン軍が火薬庫に使っていたところへ ヴェネツィア軍の砲弾が命中して爆発した。 それまで、ほぼ完全な形で残っていた。
19世紀にエルギン卿が彫刻を持ち去り、 いま大英博物館にある。 返還の要求が続いている。