概要
三世紀の危機のさなか、帝国全体で十数年続いた。ローマで一日5000人が死んだと伝わる。病名は分かっていない。
場所
カルタゴ
36.85°N 10.32°E · チュニジア・チュニス県
36.85°N 10.32°E · チュニジア・チュニス県
本文
249年ごろエチオピアから始まり、エジプトを経て帝国全体に広がった。 名はカルタゴの司教キプリアヌスから来る。 症状を書き残したのが彼だった。 下痢、嘔吐、喉の腫れ、手足の壊死。
ローマでは一日に5000人が死んだ、と後の記録は言う。 アレクサンドリアの人口は6割減ったとされる。 数字は確かではないが、皇帝も二人この病で死んでいる。
三世紀の危機の真ん中にあたる。 兵が足りず、税が入らず、国境が破られた時期に、 疫病が十数年重なった。
病名は分かっていない。 天然痘、麻疹、出血熱のどれかとされる。
キリスト教はこの流行で広がった、と見る研究がある。 病人を捨てて逃げる者が多い中で、教会が看病を組織した。 生き残った者は、看病した側に加わった。
出典(2)
ウィリアム・H・マクニール(佐々木昭夫 訳) 『疫病と世界史』第3章 ユーラシアにおける疾病バランスの均衡
ジェームズ・C・スコット(立木勝 訳) 『反穀物の人類史 国家誕生のディープヒストリー』第3章(密集がもたらす疫病)