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Event / できごと

キプリアヌスの疫病

Plague of Cyprian
249年 – 262年
期間を持つできごと重要度 4

概要

三世紀の危機のさなか、帝国全体で十数年続いた。ローマで一日5000人が死んだと伝わる。病名は分かっていない。

場所

カルタゴ
36.85°N 10.32°E · チュニジア・チュニス県

本文

249年ごろエチオピアから始まり、エジプトを経て帝国全体に広がった。 名はカルタゴの司教キプリアヌスから来る。 症状を書き残したのが彼だった。 下痢、嘔吐、喉の腫れ、手足の壊死。

ローマでは一日に5000人が死んだ、と後の記録は言う。 アレクサンドリアの人口は6割減ったとされる。 数字は確かではないが、皇帝も二人この病で死んでいる。

三世紀の危機の真ん中にあたる。 兵が足りず、税が入らず、国境が破られた時期に、 疫病が十数年重なった。

病名は分かっていない。 天然痘、麻疹、出血熱のどれかとされる。

キリスト教はこの流行で広がった、と見る研究がある。 病人を捨てて逃げる者が多い中で、教会が看病を組織した。 生き残った者は、看病した側に加わった。

出典(2)

ウィリアム・H・マクニール(佐々木昭夫 訳) 疫病と世界史第3章 ユーラシアにおける疾病バランスの均衡
ジェームズ・C・スコット(立木勝 訳) 反穀物の人類史 国家誕生のディープヒストリー第3章(密集がもたらす疫病)

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