概要
皇帝と実力者が墓参りに出た隙に、病を装っていた老将が都の門を閉じた。曹爽の一族が処刑され、魏の実権が司馬氏に移る。16年後、その孫が皇帝になる。
場所
洛陽
34.62°N 112.45°E · 中国・河南省
34.62°N 112.45°E · 中国・河南省
関わった人(1)
司馬懿AD179年–AD251年 · クーデター本文
曹爽が実権を握っていた。
皇族で、若く、司馬懿を名誉職に追いやった。
司馬懿は病と称して、家から出なかった。
曹爽の使者が見舞いに来た。
司馬懿は粥をこぼし、 侍女に支えられ、言葉も聞き取れないふりをした。
使者は「もう長くない」と報告した。
249年正月、皇帝と曹爽が 先帝の陵へ参拝に出た。
高平陵。
都が空く。
司馬懿が起きた。
隠していた3000の兵で城門を閉じた。
太后の名で、曹爽の罷免を命じる。
曹爽に使者を送った。
兵権を返せば、爵位は保証する、と。
曹爽は迷って、応じた。
「私は富家翁として老いよう」。
数日後、一族もろとも処刑された。
三族皆殺し。
魏の実権が司馬氏に移る。
16年後、孫の司馬炎が皇帝になる。