概要
魏に使いを送り、「親魏倭王」の称号と銅鏡を得た。日本の側に同時代の記録が無く、国の位置も墓も決着していない。
場所
邪馬台国位置は特定されていない(誤差 ±350km)
34.00°N 133.00°E · 日本(畿内説と九州説があり、所在地は決着していない)
34.00°N 133.00°E · 日本(畿内説と九州説があり、所在地は決着していない)
関わった人(1)
卑弥呼?–AD248年頃 · 当人本文
魏に使いを送り、「親魏倭王」の金印と銅鏡100枚を受けた。 『三国志』魏書の東夷伝、いわゆる魏志倭人伝に書かれている。
分かっていないことのほうが多い。 邪馬台国がどこにあったのか—— 畿内説と九州説の争いは江戸時代から続いている。 墓がどれなのかも決着していない。
日本側に同時代の文字記録が無い。 記紀に卑弥呼は出てこない。 外国の史書にだけ名が残る人物になる。
「鬼道を事とし、能く衆を惑わす」と書かれ、 弟が政治を補佐し、本人は人前にほとんど出なかったという。 祭祀を担う者が王であるという形が、 この時代の倭にあったことになる。