概要
帝国中の住民に神々への犠牲を命じ、証明書(リベルス)を持たせた。エジプトからその証明書が何十枚も出土している。従った信徒と逃げた信徒をどう扱うかで、教会が割れた。
場所
ローマ
41.89°N 12.49°E · イタリア・ラツィオ州
41.89°N 12.49°E · イタリア・ラツィオ州
関わった人(1)
デキウスAD201年頃–AD251年 · 皇帝本文
249年、ドナウの軍がデキウスを皇帝に立てた。 ローマ千年祭の翌年で、 帝国は疫病と、ゴートと、貨幣の劣化の中にいた。
250年1月、勅令。 帝国のすべての住民は、 役人の前で神々に犠牲を捧げ、その肉を食べ、 証明書(リベルス)を受け取れ。 キリスト教徒を名指ししていない。 だが、そうするとキリスト教徒は分かる。
エジプトから、その証明書が40枚以上出土している。 「アウレリウス・ディオゲネス、72歳、右の眉に傷。 私は常に神々に犠牲を捧げてきた。 今日も役人の前で犠牲を捧げ、供物を注ぎ、肉を食べた。 証明を求める」。 役人の署名。 250年6月。
教皇ファビアヌスが1月に殺された。 エルサレム、アンティオキアの司教も。 オリゲネスが拷問された。 多くの信徒は犠牲を捧げた。 金で証明書だけ買った者もいた。 逃げた者もいた。カルタゴの司教キプリアヌスは逃げた。
デキウスは251年、ゴートとの戦いで死んだ。 アブリットゥスの沼で。 息子と一緒に。 皇帝が外敵との戦いで死んだ最初になる。
迫害が終わったあと、 「堕ちた者」(ラプシ)をどう扱うかで教会が割れた。 ローマではノヴァティアヌスが「許すな」と言って分派を作り、 カルタゴではキプリアヌスが「悔い改めれば許す」と決めた。 教会が、戻ってくる者のために門を開けるかどうか。 以後の教会の形は、ここで決まった。