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Event / できごと

デキウスの迫害

Decian persecution
AD250年
重要度 3

概要

帝国中の住民に神々への犠牲を命じ、証明書(リベルス)を持たせた。エジプトからその証明書が何十枚も出土している。従った信徒と逃げた信徒をどう扱うかで、教会が割れた。

場所

ローマ
41.89°N 12.49°E · イタリア・ラツィオ州

関わった人(1)

デキウスAD201年頃–AD251年 · 皇帝

本文

249年、ドナウの軍がデキウスを皇帝に立てた。 ローマ千年祭の翌年で、 帝国は疫病と、ゴートと、貨幣の劣化の中にいた。

250年1月、勅令。 帝国のすべての住民は、 役人の前で神々に犠牲を捧げ、その肉を食べ、 証明書(リベルス)を受け取れ。 キリスト教徒を名指ししていない。 だが、そうするとキリスト教徒は分かる。

エジプトから、その証明書が40枚以上出土している。 「アウレリウス・ディオゲネス、72歳、右の眉に傷。 私は常に神々に犠牲を捧げてきた。 今日も役人の前で犠牲を捧げ、供物を注ぎ、肉を食べた。 証明を求める」。 役人の署名。 250年6月。

教皇ファビアヌスが1月に殺された。 エルサレム、アンティオキアの司教も。 オリゲネスが拷問された。 多くの信徒は犠牲を捧げた。 金で証明書だけ買った者もいた。 逃げた者もいた。カルタゴの司教キプリアヌスは逃げた。

デキウスは251年、ゴートとの戦いで死んだ。 アブリットゥスの沼で。 息子と一緒に。 皇帝が外敵との戦いで死んだ最初になる。

迫害が終わったあと、 「堕ちた者」(ラプシ)をどう扱うかで教会が割れた。 ローマではノヴァティアヌスが「許すな」と言って分派を作り、 カルタゴではキプリアヌスが「悔い改めれば許す」と決めた。 教会が、戻ってくる者のために門を開けるかどうか。 以後の教会の形は、ここで決まった。

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