概要
授業をアフリカーンス語で受けさせる方針に、高校生が抗議して行進した。警官が発砲し、倒れた少年の写真が世界に流れる。アパルトヘイトへの国際的な圧力が、ここから強まった。
場所
ヨハネスブルグ
-26.20°N 28.05°E · 南アフリカ
-26.20°N 28.05°E · 南アフリカ
本文
1976年、南アフリカ政府は、黒人の学校で数学と社会をアフリカーンス語で教えるよう命じた。 教師も生徒もその言語を十分に使えない。 支配者の言葉で、支配について学べという命令になる。
6月16日の朝、ソウェトの高校生たちが行進を始めた。 1万人を超えたとされる。 警官が催涙弾を撃ち、そのあと実弾を撃った。
13歳のヘクター・ピーターソンが撃たれ、 少年に抱えられて運ばれる写真が翌日の新聞に載った。 その一枚が世界に流れた。
抗議は各地に広がり、その年の終わりまでに数百人が死んだ。 正確な数は分かっていない。
国連が武器の禁輸を決め、企業が撤退を始め、 スポーツと文化の交流が断たれていく。 アパルトヘイトが国際的に孤立していく転換点になった。
6月16日は、いま南アフリカの祝日になっている。