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Event / できごと

カール5世の退位

Abdication of Charles V
AD1555年10月25日
重要度 4

概要

スペイン、ネーデルラント、ナポリ、新大陸を息子フェリペに、帝位を弟フェルディナントに分けて、皇帝は修道院に引きこもった。「日の沈まぬ帝国」は、その日から二つになった。息子の側が、日の沈まない側だった。

場所

ブリュッセル
50.85°N 4.35°E · ベルギー

関わった人(2)

カール5世AD1500年2月24日–AD1558年9月21日 · 皇帝フェリペ2世AD1527年5月21日–AD1598年9月13日 · 息子

本文

1555年10月25日、 ブリュッセル。 クーデンベルク宮殿。 大広間。 金羊毛騎士団、 ネーデルラント17州の身分制議会。 カール5世、55歳。 痛風で、 杖と、 オラニエ公ウィレムの肩に手を置いて。 のちに反乱を率いる、 22歳の若者の肩に。

演説。 フランス語で。 「私は17歳で統治を始めた。 40年。 ドイツへ9回、 スペインへ6回、 イタリアへ7回、 フランドルへ10回、 フランスへ4回、 イングランドへ2回、 アフリカへ2回、 海を8回渡った」。 「私は、 自分の義務を果たそうとして、 足りなかった」。 「誤りがあれば、 許してほしい」。 泣いた。 聴衆も。

ネーデルラントとブルゴーニュを、 息子フェリペに。 1556年1月、 スペイン、 ナポリ、 シチリア、 新大陸。 9月、 帝位を弟フェルディナントに。 選帝侯が認めたのは1558年。 ハプスブルクは、 スペインとオーストリアに分かれた。 1700年まで、 1918年まで。

1556年9月、 船でスペインへ。 ユステ。 エストレマドゥーラの修道院。 隣に小さな家を建てた。 部屋から礼拝堂のミサが見える。 時計。 イタリアの時計師と、 分解して組み立てた。 「二つの時計を同じに動かせない私が、 二つの宗教を同じにしようとした」。 そう言った、と伝える。 言っていない、とも。 鰻、 ビール、 「胃に悪い」と医者が。 1558年8月、 自分の葬儀のミサを、 生前に、 自分で聞いた、と伝える。 9月21日、 死んだ。 58歳。 手に、 妻イサベルが死の床で握った十字架。 「もう、 時が来た」。 「イエス」。 息子は、 父の遺体を、 エスコリアルに移した。 1574年。 自分の墓の下に。

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