概要
スペイン遠征から帰るカール大帝の軍の殿を、ピレネーの峠でバスク人が襲った。ブルターニュ辺境伯ロランが死んだ。300年後、それはサラセンとの戦いに書き換えられ、『ロランの歌』になる。
場所
ロンスヴォー
43.01°N -1.32°E · スペイン・ナバラ州
43.01°N -1.32°E · スペイン・ナバラ州
本文
777年、バルセロナのサラセン人総督が、 パーダーボルンのカール大帝を訪ねて、 コルドバのアブド・アッラフマーン1世に対する援軍を求めた。 翌年、カールはピレネーを越えた。 パンプローナを取り、 サラゴサは門を開けず、 ザクセンで反乱が起きたと聞いて、引き返した。 帰りにパンプローナの城壁を壊した。 バスク人の街だった。
778年8月15日。 ロンスヴォー、あるいはロンセスバーリェス。 峠の道は狭く、軍は長く伸びた。 後衛が谷にいるとき、 森からバスク人が下りてきた。 荷駄を奪い、後衛を殺した。 アインハルトの伝記。 「この戦いで、宮中伯アンセルム、宮中の管理者エギハルト、 ブルターニュ辺境伯フルオドランドが、他の多くと共に死んだ」。 フルオドランド。ロラン。 それだけ。 アインハルトはカールの敗北を、それ以上書かなかった。
300年後。 1100年頃の『ロランの歌』。 敵はサラセン人。 裏切り者はロランの継父ガヌロン。 ロランは角笛を吹くのを拒み、 死ぬ間際に吹き、 カールが戻ってサラセンを殲滅し、 ガヌロンは八つ裂きにされる。 「異教徒は間違っていて、キリスト教徒は正しい」。 第一回十字軍の時代の詩になった。 1066年のヘイスティングスで、 ノルマン軍の吟遊詩人が先頭でこれを歌った、と伝わる。
いまロンセスバーリェスはサンティアゴ巡礼路の 最初の宿になっている。 峠にロランの像が立つ。 バスク人は、勝ったほうの記念碑を持っていない。