概要
カール大帝がヨークからアルクィンを招き、宮廷に学校を置いた。古典の写本が集められ、読みやすい小文字の書体が作られた。いまのローマ字の小文字は、この書体から来ている。
場所
アーヘン
50.78°N 6.08°E · ドイツ
50.78°N 6.08°E · ドイツ
関わった人(1)
アルクィンAD735年頃–AD804年 · 校長本文
781年、パルマ。 カール大帝がローマからの帰りに、 ヨークの学校の長アルクィンに会った。 アルクィンはヨークの大司教のためにローマへパリウムを取りに来ていた。 翌年、アーヘンへ。
宮廷学校。 王の子と貴族の子、 そして王自身。 カールは45歳を過ぎて文字を学び、 枕の下に書板を入れて寝たが、 「遅く始めたので、ほとんど成果がなかった」とアインハルトは書く。 読めた。書けなかった。
文法、修辞、弁証法。 算術、幾何、音楽、天文。 七自由学芸。 アルクィンは対話の形で教科書を書いた。 「ピピンとアルビヌスの問答」。 「文字とは何か。歴史の番人。 言葉とは何か。心の裏切り者。 何が人を生むか。死」。
写本。 帝国中の修道院に、聖書と教父を集めて写させた。 書体。 メロヴィング期の読みにくい字を捨て、 丸く、単語を離し、大文字と小文字を分けた。 「カロリング小文字体」。 15世紀の人文主義者がこれを「古代の字」と誤解して真似し、 それが活字になった。 いまのローマ字の小文字は、これ。
『一般訓令』(789年)。 すべての修道院と司教座に学校を置け。 詩篇と歌と暦と文法を教えよ。 「書くときは注意深く。若者に任せるな」。
古典の写本の9割は、この時代に写されたものが最古になる。 キケロも、ウェルギリウスも、タキトゥスも。 それがなければ、失われていた。 アルクィンはトゥールの修道院長になり、 804年に死んだ。 「ルネサンス」と呼ばれたのは19世紀になってから。