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Event / できごと

アーヘンの宮廷学校

Palace school at Aachen
AD782年
重要度 4

概要

カール大帝がヨークからアルクィンを招き、宮廷に学校を置いた。古典の写本が集められ、読みやすい小文字の書体が作られた。いまのローマ字の小文字は、この書体から来ている。

場所

アーヘン
50.78°N 6.08°E · ドイツ

関わった人(1)

アルクィンAD735年頃–AD804年 · 校長

本文

781年、パルマ。 カール大帝がローマからの帰りに、 ヨークの学校の長アルクィンに会った。 アルクィンはヨークの大司教のためにローマへパリウムを取りに来ていた。 翌年、アーヘンへ。

宮廷学校。 王の子と貴族の子、 そして王自身。 カールは45歳を過ぎて文字を学び、 枕の下に書板を入れて寝たが、 「遅く始めたので、ほとんど成果がなかった」とアインハルトは書く。 読めた。書けなかった。

文法、修辞、弁証法。 算術、幾何、音楽、天文。 七自由学芸。 アルクィンは対話の形で教科書を書いた。 「ピピンとアルビヌスの問答」。 「文字とは何か。歴史の番人。 言葉とは何か。心の裏切り者。 何が人を生むか。死」。

写本。 帝国中の修道院に、聖書と教父を集めて写させた。 書体。 メロヴィング期の読みにくい字を捨て、 丸く、単語を離し、大文字と小文字を分けた。 「カロリング小文字体」。 15世紀の人文主義者がこれを「古代の字」と誤解して真似し、 それが活字になった。 いまのローマ字の小文字は、これ。

『一般訓令』(789年)。 すべての修道院と司教座に学校を置け。 詩篇と歌と暦と文法を教えよ。 「書くときは注意深く。若者に任せるな」。

古典の写本の9割は、この時代に写されたものが最古になる。 キケロも、ウェルギリウスも、タキトゥスも。 それがなければ、失われていた。 アルクィンはトゥールの修道院長になり、 804年に死んだ。 「ルネサンス」と呼ばれたのは19世紀になってから。

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