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Event / できごと

潼関の戦い

Battle of Tong Pass
AD211年
重要度 3

概要

涼州の馬超と韓遂が関中の十部と組んで潼関に拠った。曹操は北から渭水を渡り、離間の計で二人を割った。韓遂に馬上で昔話をし、字を書き換えた手紙を送った。馬超は敗れて涼州へ、やがて劉備に。「錦馬超」の話は演義が大きくした。

場所

潼関
34.62°N 110.29°E · 中国・陝西省

関わった人(2)

馬超AD176年–AD222年 · 敗れた曹操155年–220年3月15日 · 勝った

本文

211年。 曹操が鍾繇に「張魯を討て」と命じ、涼州を通ろうとした。 関中の十部。馬超、韓遂、侯選、程銀、楊秋、李堪、張横、梁興、成宜、馬玩。「我々を討つのだ」。 10万。潼関。 馬超の父馬騰は鄴にいた。曹操の下で衛尉。人質。 馬超は父を捨てて挙兵した。 7月、曹操が自ら来た。 「関中の兵は長い矛を使う。精鋭を先鋒にすれば勝てる」。 「戦うのは私だ。敵ではない」。 黄河。徐晃と朱霊が蒲阪津を渡って西岸に。 曹操は北岸へ渡ろうとして、馬超が1万で襲った。許褚が曹操を船に乗せ、片手で鞍を掲げて矢を防ぎ、片手で櫂を漕いだ。丁斐が牛馬を放ち、兵が牛馬を取り合って追わなかった。 渭水。砂で城を作れず、賈詡の策で、砂に水を撒いて凍らせて、一晩で城を作った。9月の寒さ、と伝える。 馬超が和を求めた。「河西を割く。人質を出す」。 賈詡。「偽って許し、離間しなさい」。 曹操は韓遂と馬上で会った。韓遂の父と同じ年の孝廉で、韓遂とは昔から。「昔の話を、手を叩いて笑った」。軍のことは言わなかった。 馬超が「何を話した」。「何も、昔のことだ」。馬超は疑った。 曹操は韓遂に手紙を送った。字を書き換えて、消して、直したように。韓遂が持っている手紙を馬超が見た。「韓遂が直したのだ」。 決戦。軽装の兵で疲れさせ、虎騎で挟んだ。成宜、李堪が死んだ。馬超と韓遂は涼州へ。楊秋は降った。 「私は最初、潼関を固めて渡河を防ぐと見せた。敵が渡河を防ぐ間に、蒲阪から渡った。関中の兵は一部ごとに来た。一度に来れば数年かかった。私は勝った」。 212年、馬騰と一族200余人が鄴で殺された。 馬超は213年に涼州で挙兵し、冀城を取り、韋康を殺し、負けて、張魯へ。214年、劉備へ。

錦馬超。演義。「曹操が髭を切って袍を捨てて逃げた」。「許褚が裸で馬超と戦った」。 正史では、曹操は「馬超がいなくなって、私は葬られる所がなくなった」と冗談を言った。 潼関。関中の東の門。黄河が南から東へ曲がる所。 安史の乱の哥舒翰も、ここで負けた。 1937年、日本軍はここを越えられなかった。

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