概要
亡命先のビテュニアでローマの追及を受け、服毒して死んだ。没年には諸説ある。
関わった人(1)
ハンニバル・バルカBC247年–BC183年(一説にBC181年) · 当人本文
敗戦後、政治家として財政の腐敗を正した。 成果が上がるほど、ローマの警戒と国内の反発が強まる。
亡命し、セレウコス朝アンティオコス3世のもとへ行った。 その王がローマに敗れると、また移った。 クレタ、アルメニア、そしてビテュニア。
行く先々でローマの引き渡し要求が追ってきた。 ビテュニアの王が屈しかけたとき、 逃げ道がすべて見張られているのを知って毒を仰いだ。
「ローマ人を、一人の老人の死を待つ手間から解放してやろう」 と言ったと伝わる。 没年はBC183年説とBC181年説があり、決着していない。 同じ頃に大スキピオも失意のうちに死んでいる。