概要
四面楚歌。項羽が敗れ、5年続いた楚漢の争いが終わる。
場所
垓下位置は特定されていない(誤差 ±30km)
33.55°N 117.55°E · 中国・安徽省霊璧付近(位置に諸説ある)
33.55°N 117.55°E · 中国・安徽省霊璧付近(位置に諸説ある)
関わった人(3)
項羽BC232年–BC202年 · 楚側 · 総指揮劉邦BC256年頃(BC247年説あり)–BC195年 · 漢側 · 総指揮韓信?–BC196年 · 漢側 · 指揮本文
項羽が包囲された。
夜、四方から楚の歌が聞こえた。 故郷の兵が、みな漢に降ったのかと思わせる。 「四面楚歌」という言葉になる。
項羽は陣中で歌った。 「力は山を抜き 気は世を蓋う 時利あらず 騅ゆかず」。 愛馬の名が騅になる。
寵姫の虞美人が唱和し、自害したと伝わる。
数百騎で囲みを破り、 最後は烏江のほとりで自刃した。31歳。
渡し船が用意されていたが、 江東の子弟8000人を失って どの面下げて帰れるか、と断ったという。
戦いでは項羽が強かった。 負けたのは、人を使うことにおいてだった、 と劉邦自身が語っている。