概要
国民公会が一票差に近い票決で死刑を決め、革命広場でギロチンにかけた。王を裁いて殺すという行為が、ヨーロッパの王たちを敵に回す。
場所
パリ
48.86°N 2.35°E · フランス
48.86°N 2.35°E · フランス
関わった人(1)
ルイ16世AD1754年8月23日–AD1793年1月21日 · 処刑された本文
裁判は、国民公会そのものが行った。
裁判所ではない。
議員721人が、一人ずつ壇に上がって投票した。
有罪については、ほぼ全員一致になる。
刑については割れた。
死刑が361票、猶予付きや禁固が360票。
一票差だったとする集計と、 数票差だったとする集計がある。
いずれにせよ、僅差だった。
1793年1月21日の朝、 革命広場(今のコンコルド広場)で処刑された。
最後に群衆へ語りかけようとして、 太鼓の音で遮られたと伝わる。
この処刑が、ヨーロッパの王たちを敵に回した。
イギリス、スペイン、オランダが参戦し、 第一次対仏大同盟になる。
そして国内では、王を殺した以上 革命は引き返せなくなった。
恐怖政治が、その年の秋に始まる。
妻は9か月後に続いた。