概要
エルベ川の水をろ過せずに飲んでいた港町で、10週間に8600人。隣のアルトナはろ過していて、通りの向かいで死者が分かれた。コッホが来て「私はヨーロッパにいることを忘れる」と言った。ドイツ最後のコレラ。翌年、ろ過場。
場所
53.55°N 9.99°E · ドイツ
関わった人(1)
ロベルト・コッホAD1843年12月11日–AD1910年5月27日 · 調査本文
ハンブルク。自由都市。エルベ川。港。 水道は川の水をそのまま。ろ過場を作ろうという話は20年前から、金で止まっていた。 隣のアルトナ。プロイセン。ろ過していた。 1892年8月14日、最初の患者。港の労働者。 市は「コレラではない」。港を止めたくなかった。 8月23日、コッホが来た。 「私はヨーロッパにいることを忘れる」。ガングフィアテル、貧民街の路地を見て。 「これがハンブルクのやり方か」。 翌日、公表。 10週間。1万7000人が発症、8600人が死んだ。 アルトナ。通りの向かい側。同じ空気、同じ貧しさ、水だけが違う。死者はほとんど出なかった。 ハンブルク・アルトナの境の通りで、片側の家が死に、片側が生きた。 コッホの言った通りだった。「水」。ペッテンコーファーの「土地の瘴気」ではなく。 ペッテンコーファーはミュンヘンでコレラ菌を飲んで見せた。下痢だけで済んだ。「私の説が正しい」。彼は1901年に自殺した。 ロシアからの移民。ニューヨークへ行く船が港にいた。ドイツは移民を止めた。アメリカは船を止めた。 翌年、ろ過場。 市の権力が商人から国へ。ハンブルクは「都市国家」の自治を、コレラで少し失った。
トーマス・マン。『ブッデンブローク家の人々』はリューベック。『ヴェニスに死す』はコレラ。 リチャード・エヴァンズ『ハンブルクの死』。1987年。「コレラは階級の病だった」。 ドイツ最後のコレラ。 アルトナは1937年にハンブルクに合併された。 いま、その境は市の中の通りで、何もない。