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Event / できごと

教育勅語

Imperial Rescript on Education
AD1890年10月30日
重要度 4

概要

315字。父母に孝、兄弟に友、「一旦緩急あれば義勇公に奉じ」。井上毅と元田永孚が書いた。学校で暗誦させ、御真影と共に奉安殿に置いた。1948年、国会が失効を決議した。

場所

東京
35.68°N 139.77°E · 日本・東京都

本文

「朕惟フニ我カ皇祖皇宗國ヲ肇ムルコト宏遠ニ德ヲ樹ツルコト深厚ナリ」。 315字。

1890年2月、 地方長官会議。 「徳育の方針を定めよ」。 山県有朋首相。 「教育の根本を、 国体に」。 起草。 最初、 法制局長官の井上毅。 「宗教に触れるな、 哲学に触れるな、 政治に触れるな、 天皇の命令の形にするな」。 儒教の色を薄くしようとした。 元田永孚。 天皇の侍講。 儒者。 「忠孝」。 二人で。 何度も。 9月。 10月30日、 天皇が山県と文相芳川顕正に渡した。 「勅語」。 法ではない。 「朕」が「爾臣民」に語る。 副署なし。 「天皇個人の言葉」という形。 井上の意図。 「勅語」だから、 法的な効力はない。 だから、 議会も、 内閣も、 関係ない。 だから、 50年、 誰も変えられなかった。

「父母ニ孝ニ兄弟ニ友ニ夫婦相和シ朋友相信シ」。 「一旦緩急アレハ義勇公ニ奉シ以テ天壤無窮ノ皇運ヲ扶翼スヘシ」。 「之ヲ古今ニ通シテ謬ラス之ヲ中外ニ施シテ悖ラス」。

謄本。 全国の学校に。 御真影と共に。 奉安殿。 校長が白手袋で。 「奉読」。 1891年、 内村。 1893年、 「祝日大祭日儀式規程」。 「君が代」。 「勅語奉読」。 「校長の訓話」。 学校の火事で、 御真影を守って死んだ校長。 「殉職」。 1898年、 長野。 1930年代。 奉安殿を鉄筋に。

1945年10月。 GHQ。 「奉読の禁止」。 1946年、 文部省。 「教育勅語を、 教育の唯一の淵源としない」。 1947年、 教育基本法。 1948年6月19日。 衆議院、 「教育勅語等排除に関する決議」。 参議院、 「失効確認に関する決議」。 「その根本理念が、 主権在君並びに神話的国体観に基づいている」。 「謄本を回収する」。

2017年3月。 「教育勅語を教材として用いることは、 否定されない」。 閣議決定。 森友学園。 幼稚園で暗誦させていた。 「父母に孝」は、 いい言葉だ。 「一旦緩急あれば」は。 どちらも、 同じ315字の中にある。

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