概要
チャーチルがヨーロッパを分ける線を名づけた。冷戦という言葉が現実になっていく。
場所
フルトン
38.85°N -91.95°E · アメリカ合衆国・ミズーリ州
38.85°N -91.95°E · アメリカ合衆国・ミズーリ州
関わった人(1)
チャーチルAD1874年11月30日–AD1965年1月24日 · 演説本文
チャーチルが、アメリカの大学で講演した。
当時、彼は首相ではない。 選挙に負けて野党の党首になっていた。
「バルト海のシュチェチンから、 アドリア海のトリエステまで、 大陸を横切る鉄のカーテンが降ろされた」。
その線の東で、何が起きているか分からない、と。
当時、この演説は批判された。 ソ連は同盟国だったばかりで、 対立を煽っているという反発が強かった。
トルーマンも、公には距離を置いた。
だが、1年後に封じ込め政策が始まる。
「冷戦」という語が広まるのも、この頃になる。
言葉が、状況に名前を与えた。
名前が付くと、それが現実として扱われるようになる。