ラス・カサス『インディアスの破壊についての簡潔な報告』
概要
ドミニコ会の司教が、自分が見たスペイン人の殺戮を王子に報告する形で印刷した。「4000万人」。数字は誇張とされるが、告発は本物で、敵国が訳して回覧し、「黒い伝説」の元になった。
場所
37.39°N -5.98°E · スペイン
関わった人(1)
バルトロメ・デ・ラス・カサスAD1484年–AD1566年7月18日 · 著者本文
1542年、 バリャドリード。 カール5世の前で、 ラス・カサスは読み上げた。 何日も。 「インディアスの破壊についての簡潔な報告」。 その年、 「インディアス新法」。 エンコミエンダ(先住民の労働の割り当て)を 廃止に向ける。 植民者が反乱した。 ペルーで総督が殺された。 法は骨抜きになった。
1552年、 セビリャ。 本人が印刷させた。 「簡潔な報告」。 王子フェリペ(のちのフェリペ2世)に献じて。 エスパニョーラ、 キューバ、 メキシコ、 グアテマラ、 ペルー。 島ごと、 地方ごと。 「私が見た」。 「彼らは、 子供を犬に食わせた」。 「13人ずつ吊るして、 キリストと12使徒を讃えた」。 「4000万人以上が死んだ」。 「1200万人以上」。 数字は、 版によって違う。
数字。 エスパニョーラ島は、 1492年に「300万人」、 1542年に「200人」。 考古学は、 25万から100万と推定する。 それでも、 50年で、 ほぼ全員が。 天然痘、 はしか、 インフルエンザ。 ラス・カサスはそれを書いていない。 病気を知らなかった。 殺戮と、 労働と、 飢えだけを見た。
1578年、 オランダ語。 1579年、 フランス語。 1583年、 英語。 「スペインの残虐」。 1598年、 ド・ブリの版画。 アムステルダム。 犬が子供を食う絵。 「黒い伝説」(レイェンダ・ネグラ)。 1914年、 フリアン・フデリアスが名づけた。 スペインの側から。 「敵国の宣伝」。 「ラス・カサスは、 誇張した」。 「イギリスは、 自分の植民地で、 同じことをした」。 両方が本当。 1550年から1551年、 バリャドリード論争。 セプルベダ対ラス・カサス。 「インディオは、 アリストテレスの言う、 自然の奴隷か」。 「そうだ」。 「違う」。 結論は出なかった。 論争があった。 それは、 他の帝国にはなかった。