概要
イギリスが通商を求めて送った使節を、乾隆帝は「天朝は何も欠いていない」と退けた。傲慢の例として語られてきたが、当時の清はまだ世界最大の経済だった。
場所
北京
39.90°N 116.41°E · 中国
39.90°N 116.41°E · 中国
本文
1793年、イギリスは清に使節を送った。 求めたのは、北京への常駐、広州以外の港の開放、関税の引き下げになる。 贈り物として、望遠鏡、天球儀、気球、最新の火器を積んだ。
使節は熱河の離宮で乾隆帝に謁見した。 三跪九叩頭を拒み、片膝をついた。 要求はすべて退けられた。 国王への返書には、天朝は物に満ちていて外国の産物を必要としない、とあった。
長く、清の傲慢と閉鎖の例として語られた。 50年後のアヘン戦争を、この返書から説明する話も多い。
見方は変わっている。 当時の清は世界最大の経済で、 イギリスが売れるものは、実際にほとんど無かった。 茶と絹と磁器を買うために銀が一方的に流れ、 それを埋めるためにアヘンが持ち込まれる。
『大分岐』は、この使節団を比較の材料として読み直す。 1800年の時点で、どちらが先を行っていたかは自明ではなかった。
出典(1)
ケネス・ポメランツ(川北稔 監訳) 『大分岐 中国、ヨーロッパ、そして近代世界経済の形成』第1章(ヨーロッパの先進性という神話)