概要
「必要なしに存在を増やすな」。フランシスコ会の哲学者が、普遍は名前にすぎないと説いた。教皇に呼ばれて異端を疑われ、皇帝のもとへ逃げ、「剣で私を守れ、私はペンで守る」と言った。
場所
51.75°N -1.26°E · イングランド
関わった人(1)
オッカムのウィリアムAD1287年頃–AD1347年 · 哲学者本文
「エンティア・ノン・スント・ムルティプリカンダ・プラエテル・ネケッシタテム」。 存在は必要なしに増やされるべきでない。 この言葉そのものは、オッカムの本にない。 「多くのものをもって為しうることを、より少ないもので為すのは無駄」。 「必然性なしに複数性を置くべきでない」。 それは書いた。 「剃刀」の名は1852年、ウィリアム・ハミルトン。
普遍。 「人間」は個々の人間の外に存在するか。 実念論は存在すると言い、 オッカムは名前だけだと言った。 唯名論。 存在するのは個物だけ。 「人間」は心の中の概念で、記号。
神。 神は全能で、理性で証明できない。 信仰と理性は別。 トマスが合わせたものを、分けた。
1324年、アヴィニョンに召喚された。 教皇ヨハネス22世。 異端の疑いで4年。 その間に、フランシスコ会の清貧論争が起きた。 キリストと使徒は財産を持たなかったか。 教皇は「持った」と言い、 フランシスコ会総長チェゼーナのミカエルは「持たなかった」。 オッカムはミカエルの側で教皇の文書を読み、 教皇こそ異端だと結論した。 1328年5月、ミカエルと共にアヴィニョンから逃げた。 夜、船で。 ピサでルートヴィヒ4世に会った。 「皇帝よ、剣で私を守れ。私はペンであなたを守る」。 ミュンヘン。 20年。 教皇の権力を制限する政治論を書き続けた。 教皇は霊的な事柄だけ、 皇帝の権力は教皇から来ない、 公会議も誤りうる。
1347年、死んだ。 黒死病の年。 破門されたまま。 1359年に赦免の動きがあった。 「オッカムの剃刀」は、 20世紀の科学哲学で、 仮説の選び方の名前になった。