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Event / できごと

アウクスブルクの和議

Peace of Augsburg
AD1555年9月25日
重要度 5

概要

「領主の宗教がその領地の宗教」。諸侯がカトリックかルター派かを選び、領民は従うか出ていく。カルヴァン派は数に入らなかった。60年の平和のあと、その穴から三十年戦争が始まる。

場所

アウクスブルク
48.37°N 10.90°E · ドイツ

本文

1546年、 ルターが死んだ。 2月。 7月、 シュマルカルデン戦争。 皇帝と、 プロテスタント諸侯。 1547年4月24日、 ミュールベルク。 皇帝が勝った。 ザクセン選帝侯ヨハン・フリードリヒ、 ヘッセン方伯フィリップ。 捕虜。 ティツィアーノが、 馬上の皇帝を描いた。 1548年、 アウクスブルク仮信条協定。 「インテリム」。 「公会議まで、 これで」。 カトリックに、 少し、 譲る。 司祭の結婚、 両形色の聖餐。 プロテスタントは、 拒んだ。 マクデブルク。 「神の書記局」。 1552年、 モーリッツ。 ザクセン。 皇帝の側で、 選帝侯になった男。 裏切って、 フランスと組んで、 皇帝を、 インスブルックで、 襲った。 皇帝は、 夜、 アルプスを、 逃げた。 痛風で、 輿で。 「諸侯の反乱」。 パッサウ条約。 1552年8月。 「宗教の自由を、 帝国議会で」。 1555年2月、 アウクスブルク。 帝国議会。 皇帝は、 来なかった。 弟フェルディナント。 「私は、 宗教の問題に、 関わりたくない」。 皇帝の手紙。 9月25日。

「クイウス・レギオ、 エイウス・レリギオ」。 その言葉は、 1586年、 法学者ヨアヒム・シュテファニ。 和議の中には、 ない。 中身は、 そう。 帝国の身分(諸侯、 帝国都市)は、 カトリックか、 アウクスブルク信仰告白(ルター派)か、 選ぶ。 臣民は、 従う。 従わない者は、 移住できる。 「イウス・エミグランディ」。 財産を、 売って。 帝国都市は、 両方を、 認めてよい。 アウクスブルク、 ウルム、 レーゲンスブルク。 「教会財産」。 1552年以前に、 プロテスタントが、 取ったものは、 そのまま。 「聖職者留保」。 カトリックの司教や大修道院長が、 プロテスタントになれば、 職と領地を失う。 プロテスタントは、 これを、 認めなかった。 フェルディナントが、 勝手に、 入れた。 「フェルディナントの宣言」。 教会領のプロテスタント貴族と都市は、 そのままでよい。 カトリックが、 認めなかった。 両方が、 認めない条項を、 両方が、 飲んだ。 カルヴァン派は、 「アウクスブルク信仰告白」ではない。 数に入らない。 プファルツ選帝侯は、 1563年に、 カルヴァン派になった。 「ハイデルベルク信仰問答」。 帝国法の外で。 再洗礼派も、 ツヴィングリ派も、 外。

63年。 「宗教平和」。 1618年。 プラハ。 窓。 「聖職者留保」、 「宣言」、 「カルヴァン派」。 すべての穴から。 1648年、 ウェストファリア。 「1624年1月1日の状態」。 「標準年」。 カルヴァン派を、 入れた。 アウクスブルクを、 確認して、 穴を、 埋めた。 「クイウス・レギオ」は、 「臣民の、 私的礼拝の自由」で、 少し、 緩んだ。 「領邦教会」。 ドイツは、 1918年まで。 いまも、 教会税。

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