概要
第21王朝の王プスセンネス1世が、デルタの東の都に、盗掘されない墓を作った。1940年に手つかずで見つかり、銀の棺と金の面が出た。ツタンカーメン以来の完全な王墓だが、戦争の年で、誰も見向きしなかった。
場所
30.98°N 31.88°E · エジプト
関わった人(1)
プスセンネス1世?–BC1001年頃 · 王本文
タニス。ツォアン。聖書の「エジプトのツォアン」。デルタの北東。 BC1069年、ラメセス11世が死んだ。北はタニスのスメンデス、南はテーベのアメンの大祭司。第三中間期。
プスセンネス1世。「テーベに現れた星」。BC1047〜1001年。46年。大祭司ピネジェム1世の息子。南の祭司の家が北の王に。 ラムセス2世の都ピ・ラメセスはナイルの支流が干上がって捨てられた。石をタニスへ運んだ。オベリスク、像、柱。ラムセスの名のまま。 だから1930年代までタニスがピ・ラメセスだと思われていた。
ピエール・モンテ。1929年から。ピ・ラメセスを探しに来た。 1939年2月、アメン神殿の南西の角。1940年2月、開けた。 メルネプタハの石棺を再利用した花崗岩の外棺。中に黒い花崗岩の棺。中に銀の人型の棺。 エジプトで銀は金より貴重。金の面。金の指輪、腕輪、胸飾り。アフガニスタンのラピスラズリ。 「銀のファラオ」。 3月、ドイツ軍がノルウェー。5月、フランス。6月、パリ。誰もエジプトの新聞を読まなかった。 ツタンカーメンは1922年で世界中が騒いだ。プスセンネスは1940年で誰も。
同じ墓にアメンエムオペト、第22王朝のシェションク2世、ホルスの顔の銀の棺。将軍ウェンジェバウエンジェドも。金と銀の杯。 カイロの2階、ツタンカーメンの隣。誰も見ない。 ミイラは骨だけ。デルタの地下水。歯と関節炎から80歳。長生きの王。
タニスはいまもフランスの発掘が続いている。 『レイダース』は1936年のタニスに失われた契約の箱を置いた。モンテが掘っていた頃。 映画では砂に埋もれた街。本当は掘られている最中だった。契約の箱はなかった。銀のファラオがいた。