概要
県令になって80日、上役の視察に礼服で会えと言われ、「五斗米のために腰を折れるか」と印を置いて帰った。以後22年、田を耕し、酒を飲み、詩を書いた。隠者の詩の手本になる。
場所
廬山
29.55°N 115.98°E · 中国・江西省
29.55°N 115.98°E · 中国・江西省
関わった人(1)
陶淵明AD365年–AD427年 · 詩人本文
潯陽(いまの九江)の人。 曾祖父の陶侃は東晋の大司馬、祖父は太守、父は早く死んだ。 家は貧しく、29歳で最初の役職についた。 「家が貧しく、耕しても足りなかった」と自分で書く。
五度出仕し、五度辞めた。 最後は405年、彭沢の県令。 郡から督郵(監察官)が来る、 役所の者が「帯を締めて礼をしなさい」と言った。 「私は五斗米のために田舎の小僧に腰を折れるか」。 印を置いて帰った。80日あまりの在職だった。 妹の葬式、とも言う。
帰る途中で「帰去来の辞」を書いた。 「帰りなんいざ、田園まさに蕪れんとす、なんぞ帰らざる」。 それから22年、廬山の麓で耕し、 飢えて食を乞い、 酒を飲み、詩を書いた。 菊と酒と琴と、五本の柳。 「五柳先生伝」は自分のことを書いた。
「飲酒」二十首。 「菊を采る東籬の下、悠然として南山を見る」。 「桃花源記」。 漁師が谷を遡って、秦の乱を逃れた人々の村に着く話。 帰って役人に告げ、二度と見つからなかった。
427年に死んだ。 自分で挽歌を三首書いて、 「死んでしまえば何を言われようが、体は山に託すだけ」と結んだ。 生前の名は高くなかった。 唐の頃から詩人の手本になり、 蘇軾は「私が好きなのは陶淵明だけだ」と言って 陶の詩全部に和した。