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Event / できごと

タスマンのタスマニア・ニュージーランド到達

Tasman reaches Tasmania and New Zealand
AD1642年12月13日
重要度 3

概要

オランダ東インド会社が南の大陸を探しに出した。タスマニアに名をつけ、ニュージーランドでマオリに4人殺されて上陸せず、オーストラリア本体を見ないまま一周して帰った。「利益がない」と会社は言った。

場所

タスマニア位置は特定されていない(誤差 ±150km)
-42.00°N 146.60°E · オーストラリア・タスマニア州

関わった人(1)

アベル・タスマンAD1603年–AD1659年10月10日 · 船長

本文

アントニオ・ファン・ディーメン。 バタヴィア総督。 「南の大陸」。 テラ・アウストラリス。 「金がある」と、 地図は言っていた。 1642年8月14日、 バタヴィア。 「ヘームスケルク」と「ゼーハーン」。 110人。 タスマン、 39歳。 航海士フランス・フィスヒャー。 「モーリシャスから、 南緯54度まで下がり、 東へ」。

10月8日、 モーリシャス。 南へ。 「海の色が変わった」。 11月24日、 陸。 タスマニアの西岸。 「ファン・ディーメンの地」。 12月1日、 上陸。 木に、 1.5メートル間隔の、 刻み目。 「巨人がいる」。 煙。 人は見なかった。 12月3日、 大工が泳いで、 旗を立てた。 「オランダ東インド会社の所有」。 12月13日、 東へ。 1900キロ。 「大きな、 高い、 陸」。 ニュージーランド南島。 「スターテン・ラント」。 南米のスターテン島と、 つながっている、 と考えた。 南の大陸の、 一部。 12月18日、 ゴールデン湾。 マオリ。 カヌー。 「ほら貝のような音」。 オランダ人は、 トランペットで返した。 戦いの挨拶に、 戦いの挨拶で。 12月19日。 小舟を、 カヌーが。 4人が殺された。 「殺人者の湾」。 「モーデナールス・バーイ」。 上陸しなかった。 北へ。 北島の北端。 1643年1月、 トンガ。 「アムステルダム島」。 水と豚。 王に会った。 フィジー。 ニューギニア。 6月15日、 バタヴィア。 10か月。

「タスマンは、 新しい陸を見たが、 上陸せず、 人と話さず、 金も香料も持ち帰らなかった」。 評議会。 「臆病」。 1644年、 二度目。 オーストラリアの北岸。 カーペンタリア湾。 「岸に沿った」。 大陸だとは、 分からなかった。 「ニューホラント」。 「価値がない」。 会社は、 探検をやめた。 1770年まで、 誰も、 ニュージーランドに来なかった。 クック。 127年。 タスマンの地図は、 「ニュージーランドの西岸」と、 「タスマニアの南岸」だけ。 線が二本。 その間の海は、 「タスマン海」。

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