概要
重税とキリシタン弾圧に対する蜂起。鎮圧の後、幕府は禁教と統制をいっそう強める。
場所
島原
32.79°N 130.37°E · 日本・長崎県
32.79°N 130.37°E · 日本・長崎県
本文
島原と天草で、3万数千人が蜂起した。
原因は二つある。
一つは、重税と飢饉になる。 藩主が過酷な年貢を課し、 払えない者を拷問した記録が残る。
もう一つが、キリシタン弾圧になる。 この地域は、かつてキリシタン大名の領地だった。
指導者に立てられたのは、 天草四郎という16歳の少年になる。
原城の跡に籠もった。 幕府は12万を動員し、 オランダ船に海上から砲撃させている。 同じキリスト教国の船で、 キリシタンの籠もる城を撃たせた。
3か月の兵糧攻めの末に落ちた。 籠城した者はほぼ全員が死んだ。
この後、幕府はポルトガル船の来航を禁じ、 禁教と統制を強めた。 鎖国と呼ばれる体制が、ここで固まる。