概要
讃・珍・済・興・武。中国の史書にだけ名が残り、日本側の史料の誰にあたるのかは決まっていない。
場所
平城京
34.69°N 135.79°E · 日本・奈良県
34.69°N 135.79°E · 日本・奈良県
本文
讃・珍・済・興・武。 5世紀に中国の南朝へ使いを送った倭の王たちの名になる。
『宋書』倭国伝に記録がある。 称号を求め、朝鮮半島南部の軍事権まで含む肩書きを願い出た。 半分ほどは認められ、半分は却下されている。
問題は、この五人が日本側の史料の誰にあたるかが決まらないことになる。 武は雄略天皇に比定する説が有力とされるが、 他の四人については諸説が並んだままになる。
倭王武が478年に送った上表文は、 祖先が甲冑をまとって山川を跋渉したと書き、 高句麗に阻まれていると訴える。 文章は流麗な漢文で、 書ける人が倭にいたか、 渡来人が代筆したかのどちらかになる。
同じ時期、埼玉の稲荷山古墳から出た鉄剣に 「獲加多支鹵大王」の文字が象嵌されていた。 ワカタケル、つまり雄略と読める。 中国の記録と、日本の土から出た鉄が、 一点で繋がった数少ない例になる。