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Event / できごと

白豪主義

White Australia policy
AD1901年 – 1973年
期間を持つできごと重要度 4

概要

連邦の最初の議会が、移民を事実上ヨーロッパ系に限る法を通した。書き取り試験という形で、当人の知らない言語を選んで落とすことができた。

場所

シドニー
-33.87°N 151.21°E · オーストラリア・ニューサウスウェールズ州

本文

1901年、六つの植民地が連邦になった。 最初の議会が通した法律の一つが、移民制限法になる。

条文に人種は書かれていない。 書かれていたのは、入国者に50語の書き取り試験を課すことだけだった。 どの言語で出すかは、役人が選べる。 中国人にゲール語を、インド人にイタリア語を出せばよい。

体裁を保ちながら結果を決められる仕組みで、 イギリス政府の顔も立った。

背景には、ゴールドラッシュの中国人労働者への反発と、 ブラックバーディングで運ばれた島の人びとを追い出す動きがあった。

第二次世界大戦後、労働力が要るようになって少しずつ緩む。 書き取り試験の廃止が1958年、 人種による選別が完全に廃止されるのが1973年になる。

日本、中国、フィリピンからの移民が増え、 いまオーストラリアは人口の3割が外国生まれになっている。

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