概要
連邦の最初の議会が、移民を事実上ヨーロッパ系に限る法を通した。書き取り試験という形で、当人の知らない言語を選んで落とすことができた。
場所
シドニー
-33.87°N 151.21°E · オーストラリア・ニューサウスウェールズ州
-33.87°N 151.21°E · オーストラリア・ニューサウスウェールズ州
本文
1901年、六つの植民地が連邦になった。 最初の議会が通した法律の一つが、移民制限法になる。
条文に人種は書かれていない。 書かれていたのは、入国者に50語の書き取り試験を課すことだけだった。 どの言語で出すかは、役人が選べる。 中国人にゲール語を、インド人にイタリア語を出せばよい。
体裁を保ちながら結果を決められる仕組みで、 イギリス政府の顔も立った。
背景には、ゴールドラッシュの中国人労働者への反発と、 ブラックバーディングで運ばれた島の人びとを追い出す動きがあった。
第二次世界大戦後、労働力が要るようになって少しずつ緩む。 書き取り試験の廃止が1958年、 人種による選別が完全に廃止されるのが1973年になる。
日本、中国、フィリピンからの移民が増え、 いまオーストラリアは人口の3割が外国生まれになっている。