概要
サラエヴォの一発から、同盟の連鎖で世界が巻き込まれた。塹壕と機関銃と毒ガスで1000万人が死ぬ。
場所
サラエヴォ
43.86°N 18.41°E · ボスニア・ヘルツェゴビナ
43.86°N 18.41°E · ボスニア・ヘルツェゴビナ
本文
サラエヴォの一発から6週間で、ヨーロッパの主要国が全部参戦した。 同盟の網が張られていたため、二国間の紛争が 自動的に全体へ広がる仕組みになっていた。
誰もが短期戦を想定していた。 実際には塹壕が海から国境まで伸び、4年動かなかった。 機関銃と鉄条網が防御を圧倒的に有利にし、 それを崩すために毒ガス、戦車、航空機が投入される。
戦死者は900万人を超える。 それに加えて、終わりかけの1918年からインフルエンザが流行し、 戦争より多くの人が死んだ。
帝国が四つ消えた。ロシア、ドイツ、オーストリア=ハンガリー、 オスマン。その解体のときに引かれた線の多くが、 いまも紛争の場所になっている。
動画(2)
出典(3)
スティーブン・ピンカー(幾島幸子、塩原通緒 訳) 『暴力の人類史』第5章 長い平和
ウィリアム・H・マクニール(増田義郎、佐々木昭夫 訳) 『世界史』第IV部 地球規模のコスモポリタニズムの始まり(1850年〜)
ベネディクト・アンダーソン(白石隆、白石さや 訳) 『想像の共同体 ナショナリズムの起源と流行』第7章 最後の波(帝国が国民国家に割れる)