概要
東方遠征から戻った軍が持ち帰った。天然痘とされる。帝国の人口の1割前後が死に、マルクス・アウレリウスの治世の背景になる。
場所
ローマ
41.89°N 12.49°E · イタリア・ラツィオ州
41.89°N 12.49°E · イタリア・ラツィオ州
本文
165年、パルティアと戦った軍がメソポタミアから戻り、病を持ち帰った。 ガレノスが症状を記録している。発疹、熱、下痢。 天然痘だったと考えられているが、確定はしていない。
流行は15年続き、帝国の隅々まで届いた。 死者の数は分からない。人口の1割前後という推定が多く、 兵と都市の住民が多く死んだので、軍と税に直接響いた。
皇帝ルキウス・ウェルスもこの病で死んだとされる。 マルクス・アウレリウスの治世は、ドナウでの戦争とこの疫病の中にあった。 『自省録』はその陣中で書かれている。
帝国の衰えの始まりをここに置く見方と、 一時の打撃で回復したとする見方の両方がある。
出典(2)
塩野七生 『ローマ人の物語』IX 賢帝の世紀
ウィリアム・H・マクニール(佐々木昭夫 訳) 『疫病と世界史』第3章 ユーラシアにおける疾病バランスの均衡