概要
剣闘士の医者から皇帝の侍医になり、動物の解剖で体の仕組みを説いた。四体液説を体系にし、その権威は1500年続く。
場所
ローマ
41.89°N 12.49°E · イタリア・ラツィオ州
41.89°N 12.49°E · イタリア・ラツィオ州
関わった人(1)
ガレノスAD129年–AD216年頃 · 皇帝の侍医本文
ペルガモンで、剣闘士の医者から始めた。
傷を縫い、骨を接ぐ。
「傷は体の中への窓だ」と書いている。
ローマへ出て、皇帝マルクス・アウレリウスの侍医になった。
人体の解剖は許されていない。
猿と豚と牛を解剖した。
だから、間違いがある。
肝臓の葉の数、子宮の形、 血液が心臓の壁を通り抜けるという説。
四体液説を体系にした。
血液、粘液、黄胆汁、黒胆汁。
そのバランスが崩れると病気になり、 瀉血で正す。
膨大に書いた。
現存するギリシア語の文献の8分の1が、 この人のものになる。
その権威が1500年続いた。
16世紀にヴェサリウスが人体を解剖して誤りを指摘したとき、 反対者は「ガレノス以後に人体のほうが変わった」と言った。