概要
ドナウの向こうのゲルマン諸族が、疫病で兵の減ったローマに押し寄せた。皇帝は14年、前線で過ごし、陣中で『自省録』を書き、ウィーンで死んだ。ローマが守る側に回った最初の戦争になる。
場所
ウィーン
48.21°N 16.37°E · オーストリア
48.21°N 16.37°E · オーストリア
関わった人(1)
マルクス・アウレリウス121年4月26日–180年3月17日 · 皇帝本文
165年にパルティア遠征から帰った兵が、疫病を持ち帰った。 翌年、ドナウの向こうからマルコマンニ、クァディ、 ヤジュゲスなどの諸族が、川を渡ってきた。 背後でゴート人が動き始め、押し出された、と考えられている。
170年、侵入軍はアルプスを越えて北イタリアのアクイレイアを囲んだ。 ハンニバル以来、イタリアに外敵が入った最初になる。 別の一隊はギリシアまで達し、エレウシスの神殿を焼いた。
マルクス・アウレリウスは、共同皇帝ルキウス・ウェルスの死後、 一人で14年、ドナウの前線に立った。 奴隷と剣闘士を兵にし、宮殿の宝物を売って軍資金にした。 陣中でギリシア語で自分に向けて書いたノートが『自省録』になる。 第1巻の末尾に「クァディ族の地、グラヌア川のほとりにて」とある。
180年3月17日、ウィンドボナ(ウィーン)で死んだ。 息子のコンモドゥスは講和して帰った。 ドナウの向こうに属州を作る計画は、それで消えた。 ローマ軍の記念柱がいまもローマのコロンナ広場に立っている。