概要
少ない手勢で西域50余国を漢に付け、都護となった。絹の道が再び通じる。
関わった人(1)
班超AD32年–AD102年 · 当人本文
班超は、歴史家班固の弟になる。
はじめは役所で文書を書き写す仕事をしていた。 筆を投げ捨てて「大丈夫たるもの、 異域に功を立てるべきだ」と言ったと伝わる。 「投筆従戎」という言葉になる。
36人の手勢で出発した。
鄯善に着くと、匈奴の使者が先に来ていた。 王の態度が変わったことに気づき、 夜襲して匈奴の使節団を全滅させた。
「虎穴に入らずんば虎子を得ず」は、 このときの言葉とされる。
以後30年、少ない兵で 西域50余国を漢に付けた。 現地の兵を使い、国どうしを競わせる方法を取っている。
70歳を過ぎて帰国を願い出た。 「酒泉郡に至ることは望みません。 ただ生きて玉門関に入ることを願います」と。
帰国して1か月ほどで死んだ。
出典(2)
班固 『漢書』班超伝
范曄 『後漢書』班超伝