概要
徴用への反発から始まり、ソビエト政権への抵抗として20年近く続いた。山と砂漠を使った戦いで、最後は国境の封鎖と土地の分配で終わる。
場所
ブハラ
39.77°N 64.43°E · ウズベキスタン
39.77°N 64.43°E · ウズベキスタン
本文
1916年、ロシアは中央アジアのムスリムに、戦時の労役への徴用を命じた。 それまで兵役を免除される代わりに税を納めてきた人びとになる。
各地で蜂起が起き、鎮圧で数万人が死に、多くが中国領へ逃げた。
革命後、ソビエト政権が入ると、抵抗はさらに広がった。 「バスマチ(襲撃者)」というのは政権側が付けた呼び名で、 当人たちは自由の戦士を名乗った。
指導者は一人ではない。 地方の名士、宗教指導者、元の兵、盗賊。 まとまりを欠いたことが、最後まで弱点になった。
1921年には、トルコの元将軍エンヴェル・パシャが加わって統一を試みた。 翌年、戦死する。
ソビエトは軍事だけでなく、土地の分配と、 宗教への圧力の一時的な緩和で支持を削いだ。 1934年ごろまでに、組織的な抵抗は終わる。
この間に、数十万人がアフガニスタンと中国へ逃れた。 その子孫が、いまも国境の向こうに住んでいる。