概要
議会が王を裁き、公開で処刑した。王が法の上にいるという考えが、ヨーロッパの目の前で否定される。
場所
ロンドン
51.51°N -0.13°E · イギリス・イングランド
51.51°N -0.13°E · イギリス・イングランド
関わった人(1)
オリヴァー・クロムウェルAD1599年4月25日–AD1658年9月3日 · 議会側本文
議会が王を裁き、公開で処刑した。
それまで、王が殺されることはあった。 暗殺、あるいは幽閉して密かに。
裁判にかけて、判決を下して、 公衆の前で処刑した例は無い。
チャールズ1世は、法廷の権限を認めなかった。 王を裁く法は無い、と。
その通りではあった。 だから、議会は特別法廷を作っている。
処刑の日、寒かった。 震えているところを見られたくないと、 シャツを二枚着たと伝わる。
首が落ちたとき、群衆から うめき声のような音が上がったという記録がある。
共和政は11年で終わり、王政が戻った。
だが、王が法の上にいるという考えは、 戻らなかった。
40年後、名誉革命で それが文書として確定する。
出典(1)
ダロン・アセモグル、ジェイムズ・A・ロビンソン(鬼澤忍 訳) 『国家はなぜ衰退するのか 権力・繁栄・貧困の起源』第7章 転換点