概要
王の息子がルクレティアを犯し、彼女が自殺し、ブルトゥスが短剣を掲げて王を追った。二人の執政官を1年で選ぶ共和政。ブルトゥスは自分の息子二人が王の復帰を謀ったのを処刑した。「王」はそれからローマで最も憎まれる言葉になった。
場所
41.89°N 12.49°E · イタリア・ラツィオ州
関わった人(2)
タルクィニウス・スペルブス?–BC495年 · 追われた王ルキウス・ユニウス・ブルトゥス?–BC509年 · 追った本文
リウィウス。第1巻。 アルデアの囲み。王の息子たちが妻の話をした。コッラティヌスが「私の妻ルクレティアは違う」。夜、馬でローマへ。王の息子たちの妻は宴をしていた。ルクレティアは糸を紡いでいた。 数日後、セクストゥス・タルクィニウスが一人で来た。客。夜、剣を持って部屋に。「私に従え。従わなければ、殺して、奴隷の裸の死体を隣に置いて『姦通で殺した』と言う」。 翌朝、父と夫を呼んだ。父はウァレリウスと、夫はブルトゥスと来た。 「私の体は汚された。心は無垢。死で証明する。あなたたちは誓ってください」。短剣。 ブルトゥスが短剣を抜いた。「この血にかけて、私はタルクィニウスとその妻と子らを追い、二度とローマに王を置かない」。 ブルトゥス。「愚か者」。王の甥。王が兄を殺したので、愚かを装って生きていた。デルフォイで「母に最初に口づけした者が支配する」と言われ、転んで地面に口づけした。 広場。演説。「王は、市民を溝掘りと下水に使った」。「王は暴君」。 王は陣から帰り、門を閉められた。エトルリアへ。 コッラティヌスとブルトゥスが執政官に。1年。二人。 コッラティヌスはタルクィニウス家の者なので辞めさせられた。ウァレリウスが。 BC509年。伝承。カルタゴとの最初の条約の年。ポリュビオスが引く。 ブルトゥスの息子たち。王の使者と通じた。奴隷が知らせた。広場で処刑。父が執政官として見届けた。「顔を動かさなかった」とも、「泣いた」とも。 王はエトルリアのウェイイとタルクィニイから兵を借りた。アルシアの森。ブルトゥスとアッルンス・タルクィニウスが馬で刺し違えて死んだ。 ポルセンナ。クルシウムの王。ホラティウス・コクレス、橋。ムキウス・スカエウォラ、火に手を。クロエリア、川を泳いだ。 BC496年、レギッルス湖。ラテン人の連合。王の最後の望み。負けた。翌年、クマエで死んだ。
「王」。レックス。それからローマで最も憎まれた言葉。 カエサルは「私はカエサルであって王ではない」と言った。冠を三度拒んだ。 BC44年、ブルトゥスの子孫と信じたブルトゥスが、彼を刺した。 「ルクレティア」。シェイクスピア。ティツィアーノ。レンブラント。ブリテン。 彼女が本当にいたか。物語が本当にあったか。 「共和政の始まりの話は、妻の貞節の話」。女の体で政治が変わる話を、ローマ人は自分たちの始まりにした。 「王政の廃止」の年は、ギリシアのヒッピアス追放の翌年。アテナイの民主政とローマの共和政が、ほぼ同じ年に始まったことになっている。作られた一致かもしれない。