概要
モンゴル高原からカスピ海まで届く国ができた。ビザンツにもササン朝にも使者を送り、絹の道の値段を握る。
場所
モンゴル高原位置は特定されていない(誤差 ±600km)
47.00°N 103.00°E · モンゴル・中国内モンゴル(匈奴から突厥までの本拠)
47.00°N 103.00°E · モンゴル・中国内モンゴル(匈奴から突厥までの本拠)
関わった人(1)
ブミン可汗?–AD552年 · 初代可汗本文
モンゴル高原からカスピ海まで届く国ができた。
「テュルク」という名が、 初めて政治的な単位として現れる。
やったことで大きいのが、交易への関与になる。
絹の道の中間に位置する。 ソグド人の商人を使って、 ササン朝とビザンツの両方に使者を送った。
ササン朝が絹の取引を渋ると、 今度はビザンツと直接組もうとする。
コンスタンティノープルへ使節が着いた記録がある。 草原の勢力が、地中海世界と直接交渉した。
30年ほどで東西に分裂した。 東は唐に服属し、後に再興する。
その再興した勢力が残したのが、 オルホン碑文になる。
自分たちの文字で、自分たちの言葉で書かれた 最初のテュルクの記録になる。