概要
48か国と結んで日本が主権を回復した。ソ連と中国は加わらず、沖縄と小笠原はアメリカの施政下に残る。同じ日に日米安全保障条約が結ばれた。
場所
サンフランシスコ
37.77°N -122.42°E · アメリカ合衆国・カリフォルニア州
37.77°N -122.42°E · アメリカ合衆国・カリフォルニア州
関わった人(1)
吉田茂AD1878年9月22日–AD1967年10月20日 · 首席全権本文
48か国と結んだ。
日本は主権を回復する。
だが、講和は「全面」ではなかった。
ソ連は出席したが署名せず、 中華人民共和国と中華民国はどちらも招かれず、 インドとビルマとユーゴスラビアは出席を拒んだ。
朝鮮戦争のさなかになる。
条件は、当初の構想より緩かった。
賠償は、役務による限定的なものに絞られた。
冷戦で、日本を西側に置くことが優先されたためになる。
領土の条項では、 台湾と千島と樺太の放棄が書かれたが、 その帰属先は書かれていない。
いまも残る問題の根がここにある。
沖縄と小笠原は、アメリカの施政下に置かれた。
同じ日の午後、日米安全保障条約が結ばれた。
署名したのは、吉田茂ひとりになる。
他の全権に署名させなかった。
後の批判を自分が負う、という判断だったとされる。