概要
6万対句。アラビア語に呑まれかけたペルシア語を、この一作が繋ぎ止めたとされる。
場所
トゥース
36.49°N 59.53°E · イラン・ラザヴィー・ホラーサーン州
36.49°N 59.53°E · イラン・ラザヴィー・ホラーサーン州
関わった人(1)
フィルドウスィーAD940年頃–AD1020年頃 · 作者本文
6万対句。ホメロスの二大叙事詩を合わせた倍以上になる。
30年かけて書いた。
内容は、神話の時代からササン朝の滅亡までの ペルシアの王たちの物語になる。
意図がはっきりしている。 アラビア語が公用語になり、 ペルシア語が行政と学問から追われつつあった。 そこで、アラビア語の借用語を極力避けて書いた。
「私は苦労した、この30年で。 ペルシア語をこの一書で生き返らせた」と自ら書いている。
ガズナ朝のマフムードに献上したが、 報酬が期待より少なかったと伝わる。 風刺の詩を書いて逃げた、という話がある。 後世の脚色を含む。
いま、イラン、アフガニスタン、タジキスタンで 共通の古典として読まれている。