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Event / できごと

范縝『神滅論』

Fan Zhen's On the Extinction of the Spirit
AD507年
重要度 3

概要

「形は神の質、神は形の用。刃と鋭さのように、刃がなければ鋭さはない」。仏教の輪廻を、皇帝と60人の僧と貴族が反論する中で退けなかった。「私は本を売って官を買わない」。梁の武帝が仏教を国教にする直前の、最後の反対。

場所

南京
32.06°N 118.80°E · 中国・江蘇省

関わった人(1)

范縝AD450年頃–AD510年頃 · 著者

本文

范縝。子真。南陽舞陰。 「貧しく、麻の履で歩いて学校に」。劉瓛の弟子。 斉。竟陵王蕭子良。 「仏教を信じ、僧を集めた」。 「君は因果を信じないのか。なぜ富貴と貧賤があるのか」。 「人生は木の花のようなもの。同じ枝で風に吹かれ、ある花は簾を越えて畳に落ち、ある花は垣を越えて便所に落ちる。殿下は畳に、私は便所に。貴賤に、因果がどこにあるか」。 『神滅論』。 「神は即ち形なり、形は即ち神なり。形が存すれば神が存し、形が謝すれば神が滅ぶ」。 「形は神の質、神は形の用」。 「刃と鋭さ」。「鋭さは刃ではない。刃は鋭さではない。しかし鋭さを離れて刃はなく、刃を離れて鋭さはない。刃が無くなって鋭さが残ると聞いたことがない。形が亡くなって神が存する、と、どうして言えるか」。 「人の形と木の形は違うか。人の形には知があり、木にはない」。 「死んだ人の骨は木。生きた人の骨は、知がある骨。同じ骨ではない」。 蕭子良は僧を集めて反論させた。 王融。「君の才で、中書郎になれないことはない。なぜこんな論を。改めよ」。 「私が論を売って官を買うなら、尚書令でも取れる。中書郎で止まるものか」。 507年。梁。武帝。 「『敕答臣下神滅論』」。武帝が自分で反論を書き、64人の大臣と僧が続いた。 曹思文。「人が死ねば神は去る」。 范縝は退かなかった。 罰されなかった。 広州へ流されたのは、それ以前。 「彼は生きて帰り、国子博士になり、死んだ」。 『梁書』に伝がある。「性は質直、危言高論、士友に忌まれた」。 中国の唯物論、と20世紀。 「彼は、仏教が国教になる前の、最後の一人」。 「刃と鋭さ」は、いまも哲学の授業で使われる。

同じ時代のできごと

マダガスカルへの到達AD5〜8世紀テオドリックのイタリア王国AD493年テオドリックのイタリア統治AD493年孝文帝の洛陽遷都と漢化AD494年バドン山の戦い(伝承)AD500年頃(伝承)クローヴィスの改宗AD496年頃(508年説もある)『アーリヤバティーヤ』AD499年継体天皇の即位AD507年