概要
皇帝が妃のために建てた墓廟。ムガルの富と、ペルシア・インドの様式の融合を示す。
場所
アーグラ
27.18°N 78.01°E · インド・ウッタルプラデーシュ州
27.18°N 78.01°E · インド・ウッタルプラデーシュ州
関わった人(1)
ヌール・ジャハーンAD1577年5月31日–AD1645年12月17日 · その前の時代に宮廷を動かした本文
シャー・ジャハーンが、妃ムムターズ・マハルのために建てた。 14人目の子の出産で死んだ妃になる。
22年かかった。 2万人が働き、大理石はラージャスターンから、 翡翠は中国、トルコ石はチベット、 ラピスラズリはアフガニスタンから運ばれた。
完璧な左右対称になっている。 唯一の例外が、後に置かれた シャー・ジャハーン自身の棺になる。 それだけが中心からずれている。
四つのミナレットは、わずかに外へ傾けて建てられた。 地震で倒れるとき、本体から離れるようにという設計とされる。
建てた職人の手を切り落とさせた、 という話が広く語られる。 根拠は無い。
黒い大理石で対の廟を川向こうに建てる計画があった、 という話も、証拠に乏しい。
シャー・ジャハーンは息子に幽閉され、 アグラ城から、この建物を見ながら死んだ。