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Event / できごと

『女性の権利の擁護』

A Vindication of the Rights of Woman
AD1792年
重要度 4

概要

人権宣言が男性のものだった翌年に書かれた。女性が劣って見えるのは、劣った教育しか与えられていないからだ、と論じた。

場所

ロンドン
51.51°N -0.13°E · イギリス・イングランド

関わった人(1)

メアリ・ウルストンクラフトAD1759年4月27日–AD1797年9月10日 · 著者

本文

人権宣言の3年後になる。

そこに女性が含まれていなかった。

タレーランが公教育の計画を議会に出し、 女性の教育を家庭に限った。

その本の献辞は、タレーラン宛になっている。

主張は単純だった。

女性が感情的で、浅はかで、飾りを好むように見えるなら、 それはそう育てられたからだ。

理性は男女に等しくある。

教育を与えれば、そうなる。

「私は女性が男性を支配することではなく、 自分自身を支配することを望む」。

男女共学を提案した。

女性が医者や商人になれるべきだとも書いた。

同時代の反応は、割れた。

賛同もあり、「ペチコートをはいたハイエナ」という罵倒もあった。

死後、夫が伝記を書いて私生活を明かした。

婚外子、自殺未遂、愛人関係。

その後100年、この本の名を出すことが憚られる。

同じ時代のできごと

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