概要
キリスト教を公認した皇帝は、死の床で初めて洗礼を受けた。アリウス派の司教から。白い衣で死に、自分が建てた都の使徒教会に、12使徒の棺に囲まれて葬られた。13人目の使徒として。息子三人が帝国を分け、親族を殺し合った。
場所
40.77°N 29.94°E · トルコ・イズミト
関わった人(1)
コンスタンティヌス1世AD272年頃–337年5月22日 · 皇帝本文
337年、復活祭のあと病気。ヘレノポリスの温泉。母の街。 ニコメディア郊外で洗礼。ニコメディアのエウセビオス。アリウス派の司教。 ニカイアで負けて追放され、戻って皇帝の側にいた男。
なぜ死ぬまで待ったか。 洗礼は一度。あとの罪は消えない。皇帝の仕事は罪だらけ。だから最後に。4世紀の普通。 ヨルダン川で、と思っていた。
白い衣を着て、紫を二度と着なかった。 5月22日、ペンテコステの昼。65歳。31年。アウグストゥス以来最長。 金の棺。コンスタンティノープル。兵が遺体を、まだ生きているように守った。息子たちが来るまで。
使徒教会。自分で建てた。12の石棺、使徒たちの。真ん中に自分の。13番目。「使徒に等しい」。
9月。兵が「コンスタンティヌスの息子だけ」と叫び、甥と異母弟とその息子たちを殺した。 ユリアヌスとガッルスだけ生き残った。子供だったから。コンスタンティウス2世が仕組んだ。 340年、長男が弟を攻めて死んだ。350年、コンスタンスが簒奪者に。353年、コンスタンティウス2世が一人に。 一人の皇帝が作った帝国を息子たちが殺し合った。血でつないだ。 ユリアヌスが叔父の帝国を異教に戻そうとして2年で死に、家は終わった。
東方教会は5月21日に母ヘレナと共に聖人として祝う。西方は皇帝を聖人にしなかった。 ヨーク大聖堂の前に像。「帝国の中でヨークで即位した唯一の皇帝」。 カピトリーノの巨像の頭。2.6メートル。大きな目。上を向いている。 2021年、指がルーヴルで見つかってつながった。 使徒教会は1461年にオスマンが壊してモスクにした。石棺がどこかは分からない。