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Story / ストーリー

東ローマ千年

出てくるできごと AD330 – AD1453
できごと 32人物 149

概要

ローマの西半分が消えたあと、東半分は1000年続いた。その中身をローマの続きとして並べる。

この物語について

476年に滅びたのは西半分でしかない。東はコンスタンティノープルで1453年まで続いた。本人たちは最後まで自分たちをローマ人と呼んでいる。「ビザンツ」は後世の呼び名で、当人が名乗ったことはない。

ユスティニアヌスが旧領を取り戻したのが最初の頂点で、そのすぐあとに疫病が来て人が減り、ヘラクレイオスの代には東方を丸ごと失う。公用語もラテン語からギリシア語に変わり、別の国になっていく。

それでも717年にはウマイヤ朝の大軍を城壁とギリシア火で退け、スラヴ世界に文字と正教を送り込んだ。いまのロシア・ウクライナ・バルカンの文化圏はここから来ている。致命傷を与えたのは異教徒ではなく、1204年に同じキリスト教徒の十字軍が都を略奪したことだった。

重なっているストーリー

同じできごとや人物を含む物語です。何件を共有しているかを添えました。

キリスト教のひろがり12件を共有 / 迫害される小集団が、300年で帝国の宗教になり、そこから何度も割れながら世界へ出ていった。『ローマ帝国衰亡史』で読むローマ11件を共有 / ギボンが1776年に出しはじめた、トラヤヌスからコンスタンティノープル陥落までの1300年。「なぜ滅びたか」を問う型はここで作られた。ローマ人の物語9件を共有 / ラティウムの一都市が地中海全域を呑み込み、そして西半分が消えるまでの1200年。イスラム世界8件を共有 / 一世紀でイベリアからインダスまで。学問を受け継ぎ、育て、そして西へ返した。民族移動の時代7件を共有 / 4〜6世紀、ユーラシアの東西で同時に人が動いた。ローマだけの話ではない。帝国と独立5件を共有 / 数十年で世界の大半が数か国のものになり、また数十年で戻った。草原の帝国3件を共有 / 匈奴からジュンガルまで、2500年のあいだ農耕世界の北にいた人たちの側から歴史を並べる。女性の権利2件を共有 / 人口の半分が、参政権を得るまでに文明の歴史のほとんどを要した。交易路とお金2件を共有 / 運ぶ/両替する/貸す。人と物が動くところには、いつも同じ仕組みが生えてくる。考えることの歴史2件を共有 / 同じ数百年のあいだに、ギリシアでも中国でもインドでも、人が根本から考え直した。誰が書き残したか2件を共有 / 残っているものが全部ではない。誰の筆によるかで、同じ出来事が違って見える。コテンラジオで聞く歴史2件を共有 / ポッドキャスト「コテンラジオ」が取り上げた人物とできごと。ここに並ぶ項目には、その回の動画が付いている。『ローマ人の物語』で読むローマ2件を共有 / 塩野七生が15年かけて15巻で書いた、建国から西の帝国の終わりまで。このデータベースの第一期と同じ範囲になる。『国家はなぜ衰退するのか』で読む歴史2件を共有 / 国境をひとつ挟んで豊かさが違うのは、地理でも文化でもなく制度のせいだ、という本。2024年のノーベル経済学賞の元になった。大航海時代1件を共有 / 海が壁ではなく道になった。二つの大陸が結ばれ、世界がひとつの市場になっていく。古代オリエント1件を共有 / 文字も法も都市も、まずここで生まれた。そして次々に主が入れ替わる2500年。都市の歴史1件を共有 / 人が密集して住むという異常な選択が、文明のほとんどを生んだ。『疫病と世界史』で読む歴史1件を共有 / 歴史を動かしたのは王でも思想でもなく、目に見えない微生物だった、と最初に言い切った本。『繁栄』で読む歴史1件を共有 / 人類が豊かになったのは交換のおかげで、悲観する理由はいつも外れてきた、という本。反論側も付けてある。

筋(55)

年代順に並べてあります。役どころが書いてあるものは、なぜこの物語に含まれるかを添えました。

ササン朝ペルシア国 / AD224年(アルダシール1世がパルティアを破る) – AD651年(ヤズデギルド3世の死) / 400年の宿敵。互いに消耗しきったところへイスラム勢力が来るコンスタンティノープル遷都できごと / AD330年 / 始まり。帝国の重心が東へ移るローマ帝国の東西分割できごと / AD395年東ローマ帝国国 / AD395年(テオドシウスの死による東西分割) – AD1453年(コンスタンティノープル陥落) / 主役ヴァンダル王国国 / AD435年(ローマとの協定) – AD534年(東ローマによる征服) / ユスティニアヌスが一年で滅ぼした西ローマ帝国の滅亡できごと / AD476年 / 滅びたのは西半分だけユスティニアヌス1世人物 / AD482年頃 – AD565年11月14日テオドリックのイタリア統治できごと / AD493年東ゴート王国国 / AD493年(テオドリックのラヴェンナ入城) – AD553年(ゴート戦争の終わり) / ユスティニアヌスが20年かけて滅ぼしたテオドラ人物 / AD500年頃 – AD548年ベリサリウス人物 / AD500年頃 – AD565年 / 一度も負けなかった将軍プロコピオス人物 / AD500年頃 – AD565年頃 / ペストの最初の記述アテナイのアカデメイア閉鎖できごと / AD529年ホスロー1世の改革できごと / AD531年 / 「永遠の平和」は12年で破れたニカの乱できごと / AD532年1月13日 / 帝衣はよい経帷子ユスティニアヌスの再征服できごと / 533年 / 最初の頂点。ただし長続きしないローマ法大全できごと / AD534年 / ローマ法がここで集大成され、後世のヨーロッパ法の土台になるベリサリウスのローマ奪還できごと / AD536年12月9日 / 取り戻したものは前より小さかったハギア・ソフィアの完成できごと / AD537年ユスティニアヌスの疫病できごと / 541年 / 再征服の勢いを止めたプロコピオス『秘史』できごと / AD550年頃 / 同じ人が同じ時代を二通りに書いたランゴバルドのイタリア侵入できごと / AD568年 / 取り戻した3年後に失ったヘラクレイオス人物 / AD575年頃 – AD641年2月11日ヘラクレイオスの治世できごと / 610年 / ラテン語をやめ、ギリシア語の国になるヤルムークの戦いできごと / AD636年8月 / シリアよさらば第一次ブルガリア帝国国 / AD681年(ビザンツとの条約) – AD1018年(バシレイオス2世による併合) / 340年隣り合い、最後はバシレイオス2世が滅ぼしたヴェネツィア共和国国 / AD697年(最初のドージェの選出。伝承) – AD1797年(ナポレオンによる解体) / 属領から始まり、第四回十字軍で帝都を略奪したコンスタンティノープル包囲とギリシア火できごと / 717年 / イスラム勢力の東欧進出をここで止めた聖像破壊論争できごと / 726年カール大帝人物 / AD748年頃 – AD814年 / 西にもう一人「ローマ皇帝」が立つカール大帝の戴冠できごと / AD800年12月25日 / 西にもう一人「ローマ皇帝」が現れたフォティオス人物 / AD810年頃 – AD893年頃 / 失われた本280冊の要約キュリロス人物 / AD827年頃 – AD869年2月14日スラヴ語への伝道できごと / AD863年 / スラヴ世界に文字と正教を送り出すシメオン1世人物 / AD864年頃 – AD927年 / 半分ギリシア人ブルガリアの改宗できごと / AD864年フォティオスの分裂できごと / AD867年 / 1054年の前の分裂ボリス1世人物 / ? – AD907年シメオンの皇帝称号できごと / AD913年 / ツァーリの始まりウラジーミル1世人物 / AD958年頃 – AD1015年 / 民をドニエプルに入れて洗礼キエフ・ルーシの改宗できごと / AD988年 / この選択でロシア・ウクライナがビザンツ文化圏に入るセルジューク朝国 / AD1037年(トゥグリル・ベグの自立) – AD1194年(最後のスルタンの戦死) / マンジケルトでアナトリアを開けた相手東西教会の分裂できごと / AD1054年マンジケルトの戦いできごと / AD1071年8月26日 / アナトリアという人と兵の供給源を失いはじめるルーム・セルジューク朝国 / AD1077年 – AD1308年 / アナトリア内陸を取った隣国アンナ・コムネナ人物 / AD1083年12月1日 – AD1153年頃エンリコ・ダンドロ人物 / AD1107年頃 – AD1205年『アレクシアス』できごと / AD1148年頃 / 十字軍を東側から見た同時代の記録第三回十字軍のアッコン攻囲できごと / AD1191年7月12日 / 獅子心王とサラディン第4回十字軍のコンスタンティノープル略奪できごと / AD1204年 / 致命傷。与えたのは同じキリスト教徒だったキョセ・ダグの戦いできごと / AD1243年オスマン帝国国 / AD1299年頃 – AD1922年(スルタン制の廃止) / 最後にこの帝国に滅ぼされるバヤズィト1世(雷帝)人物 / AD1360年 – AD1403年3月8日 / コンスタンティノープルを囲んだコソヴォの戦いできごと / AD1389年6月15日 / セルビアが属国にコンスタンティノープル陥落できごと / AD1453年5月29日 / 終わり